第15回 エボラ出血熱を考える
前回は子供の感染症についてでしたが、現在NHKで放映中の「花子とアン」で、主人公の息子「歩(あゆむ)」クンは「赤痢」で亡くなったんですね。
「赤痢」は戦後まもなくまで多くの子供たちが犠牲になっていた病気です。
その後は激減し、今ではほとんどかかることがなくなっています。それはなぜか―
主な理由は2つあると思います。
①公衆衛生の向上
・下水道の整備
・食品の衛生管理(工場内の衛生、食品添加物による除菌など)
・個人の衛生管理(うがい、手洗いなど)
②赤痢菌の抗菌薬の効果
だから「良かったねー」とすむことではありません。
その代わりに現代人は抗菌薬や抗生物質の効かないウィルスに感染して、苦しんでいるからです。
あっ、また熱くなってしまいました。
今月は、現在、世界を震撼させている「エボラ出血熱」について、自分流の解釈を▽△でしてみたいと思います。
主な症状は病名の如く―
出血―▽性
高熱―△性 で両極の病気です。
ということは、両極端の食生活をしたことによって発生した病気と言えます。
ではなぜアフリカ中央部(スーダンやコンゴなど)の国に多く発生しているのでしょうか?
病気の原因の第1をいつも食物と考えるので、その地区ならではの何か特別なものがあるのではないか、と調べてみました。
するとなんと、ゴリラやチンパンジーなどのサル族を食用にすることがあるということでした。
サル族はこのエボラウイルスに感染して絶滅の危機にさらされやすいそうです。
「あー、だから感染したのか。」で納得するにはまだ早いです。
というのは、昔から食用としていたのに、なぜエボラ出血熱という病気の最初が1967年だったのかということが問題なのです。
次の流行が1995年、そして今年の2014年で、その間隔が約20年ということに気がつきました。
人間の20年というのを考えるのに、まず思いつくのは誕生から成人までの期間です。
なので、発生の年の1956年はスーダンがエジプト・イギリス領から独立した年でした。
独立しても内紛は続き、国民の多くは難民となるという状況で、今でも不安定な政情です。
難民キャンプでは不衛生になりがちでしょうし、食糧も救援物資なので、栄養的に偏るでしょう。
難民でなくても、西欧化による動物食と嗜好品の多い▽△両極の西欧食の広がりと伝統食の減少によって、妊娠・出産をする母親の食事が変化したことで、子供の体質が変化し、エボラ出血熱に感染しやすくなったのではないでしょうか・・・
1976年 スーダン誕生 |…(20年) 1956年 最初のエボラ出血熱発生 |…(19年) 1995年 2回目の大流行 |…(19年) 2014年 今回の大流行 |
…では、次の大流行は20年後の2034年???
ではどうしたらいいか・・・おわかりですよね。
パンデミックは生活習慣が大きく変化した時に起こりやすく、そして伝統食が失われた時、その民族は滅びるそうです。
それについては、またの機会に述べてみたいと思います。
では、ごきげんよう、さようならー
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